珈琲坂からこんにちは・・☕
2月23日日曜日11時から NHkらじるらじる アンコール放送を聴き「炭鉱に送る夕」が
ラジオから 流れてきました。これは、偶然の流れ・・です。
「産業の夕」で終戦から 2年後に放送され 石炭エネルギーが大切という放送!
いざ掘れ 炭鉱命💤 という曲も流れいた・・炭鉱ニュースという番組で50分の間
炭鉱に関するニュースや不良鉱員 暴力をふるったり 横暴な行動で鉱員に 影響を及ぼす事で
警察が動きますと知らせる。
炭鉱では 食料・住宅・衣服の配給があり 炭鉱は恵まれていて働きがいいよと人手を増やすために
語りかける・・出炭が多ければ 7・8・9月一人ずつ1升のお酒を配給・・炭鉱こそ安住の地と
人手を増やそうとするが 新規採用人が集まらない。
炭鉱住宅が与えられるが 長屋隣壁一枚で 隣は仕事明けで寝てる 隣はラジオを聴くなど
働く人のために 遠慮しなければならず 気の休まることがない。
番組が意向(モニター)調査を行い その当時のモニターは はっきりしていたようで 平日の番組を
日曜日にしてほしい(炭鉱休み) 静かな音楽に魅力を感じるなど ラジオの中で演芸の部があり
楽しみにしていて 演芸が入る時間に入れるなど・・炭鉱ラジオが50分番組で30分が 演芸バラエティーに
変更された。聞き手がどの様に聴くか調査して取り組む姿勢・演芸の中でも石炭を掘ったおかげで
電飾で光が輝いているのですと 当時はいかに大切かをアピールして炭鉱で働く人々を激励し増産を
図るために始まった「炭鉱へ送る夕」の放送でした。
流石はNHk・原音が残っていたのを聴けるなんて 楽しい時間でした。
当時の様子が耳で聴いていて、何だか懐かしくなりました。

当時 珈琲坂周辺では 不良鉱員が多くオートバイ リヤカー などが盗まれたり お酒をのみすぎて
喧嘩が絶えませんでした・ この区域には交番が3カ所 所々にありました。 現在もなごりがありますよ。
自衛策として 200m.くらい 防犯ブザーを商店街で設置していました。現在は人が減り非常に静かです・
では・・またどこかで・・お会いしましょう グットバイ✋
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